大堰川(おおいがわ)と保津川(ほづがわ)

(写真をタップすると大きくなります)

渡月橋が架かるこの辺りは5世紀の中頃朝鮮半島から大挙渡来した秦(はた)氏が防災や灌漑のために大きな堰(せき)を作ったことから大堰川(おおいがわ)と呼ばれています。下流は木津川、宇治川と合流して淀川になるまで桂川と呼ばれます。大堰川の上流の保津川下りで有名な保津川は亀岡からそう呼ばれていますがその上流の源流は桂川で上桂川とも呼ばれています。川の名前は難しいです。
保津川に沿った小倉山南麓の亀山公園の遊歩道を上っていくと展望所がいくつかあり、保津川の峡谷の素晴らしい眺めが楽しめます。星野リゾートの「星のや」や角倉了以が移転建立させた千光寺が見えます。渡月橋の少し上流の右岸に「星のや」の通船岸壁があり、お客さんが乗り降りしています。いつも羨ましいなあ、と思いながら見ています。都会から来たお客さんは嵐山の自然に囲まれた空間で非日常を楽しんでおられる様です。


角倉了以(すみのくらりょうい)は嵯峨野の豪商の長男で家業は金融とお医者さんでした。了以は家業は性格的に向いていないと思っており、その職人肌の気質は保津川を開削し亀岡から嵯峨野までの舟運を実現したいと強く思っていました。そのため日明貿易のための朱印状を家康から賜り、資金を作り保津川の改修に取り組みました。急流を緩やかに、大岩を砕き、水深を確保し、流れに沿って舟を亀岡まで人力で引き上げるためのルートを整備しました。それまで山越えの厳しいルートで丹波の豊かな農産品を運んだり、材木は一か八かで保津川に投げ込んでいました。
舟運が整備されると鉄道が整備されるまで輸送のかなめとして大活躍しました。道路が整備されると鉄道輸送に取って代わり、鉄道ルートは開業30周年を誇る嵯峨野トロッコ列車として観光用鉄道として整備され人気を博しています。
紅葉や桜のシーズンは自然の美しさが心を震わせます。
是非一度、亀岡までトロッコ列車で行って、保津川下りをしてみてください。

Follow me!